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歴史上の皇位簒奪の事例

古代の天皇
崇神天皇・応神天皇・継体天皇など、古代の天皇の何人かは、前代の天皇とは血縁は無く皇位簒奪を行ったのではないかという説[要出典]が存在する(王朝交替説)。ただし古代の天皇については、そもそも血縁による皇位継承を行っていたかどうか疑問を呈する意見[要出典]もある。

蘇我氏は大王家(後の天皇家)を凌ぐ権勢を誇り、遂には自身が大王になろうとしたが、乙巳の変で当主蘇我入鹿他が暗殺された。

天武天皇
大友皇子(弘文天皇)は正式に即位しており、従って壬申の乱は天武天皇による皇位簒奪であったという説がある。さらに進めて、天武天皇が天智天皇の弟だったという通説に疑問を呈し、兄弟ではなかったのではないかという異説[要出典]も存在する。ちなみに、仮にこれが皇位簒奪であったとしても、天武天皇の血統は称徳天皇を以て絶えており、その後の天皇家は天智系に復している。

弓削道鏡
聖武天皇の出家(神⇒仏)、孝謙太上天皇の再即位(仏⇒神)など神仏混交が進み天皇の地位が変質するなか、孝謙天皇(称徳天皇)の看病禅師として宮中に入り、寵愛されるようになっていた道鏡は、天皇に準ずる法王に即位し、家政機関も設置されるなど事実上の女帝との共同統治者となり仏教事業や神祇を司った。更に二人の二頭体制によって皇太子を経ず形式的に天皇に即位すべく準備が行われた。間もなく女帝が死去した為実現しなかったとされる(宇佐八幡宮神託事件)。道鏡は神託を否定するが、下野の薬師寺造寺別当として左遷された。

もっとも、この事件を記した『続日本紀』が、女帝の死によって皇位継承権を得た光仁・桓武両天皇時代の著作で、その正当性の誇示を目的に執筆されたとも言われているため、留意する必要がある。

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平将門は、一族の内部抗争を勝抜き坂東(関東一円)を制圧すると、天慶2年(939年)、上野国庁で即位の儀礼を行った。八幡大菩薩の使いを称する巫女が宣託を告げ、興世王から「新皇」の号を進呈されたという。新皇位への即位は京都朝廷へ奏上を行っており、相対する新たなる天皇という意味で新皇を名乗った。しかし将門は、敵対勢力への対応に忙殺されて翌年には討たれているためその政治目的は不明瞭であるが、独自に諸国受領などの文武百官を任命するなど支配機構の確立も行っている。新皇即位など一連の行動を証拠として、「坂東独立王国」を築こうとしていたとする説[要出典]が主張されている。

なお平将門の出身である桓武平氏は、臣籍降下した皇胤であり、将門は桓武天皇の玄孫(一説には来孫)にあたる。

足利義満
南北朝の動乱により、天皇家と公家勢力の権力及その権威が低下すると共に、足利幕府の成立以来、足利将軍家の権威は天皇家に迫り、実質的に日本の君主としての役割を担った。とりわけ三代将軍足利義満は朝廷への影響力を強め、公武を超越した権威と権力を持つに至った。天皇家の代わりに、中国の明朝皇帝から「日本国王」として冊封を受け独自の外交を行っているが、これを国内的な君主号としての天皇の権威に対抗するためであり、簒奪の為の準備の一つであるとの説[要出典]がある(ただし、貿易の利便性を高める為、冊封を受けたとの説もある)

晩年には、実子義嗣を親王に準ずる形で元服させた。しかしその直後に義満は後継者不指名のまま急死し、四代将軍となった足利義持や幕府重臣により先例無しとして太上法皇位の追号も取りやめられ、朝貢貿易も停止された。義満の皇位簒奪説は、一方で皇統の正当性は上皇としての立場ではなく血統により発生するという反論もあり、疑問視する声も根強い。

なお足利将軍家は、清和天皇の子孫が臣籍降下した清和源氏の一流(河内源氏)であり、皇胤であるため天皇家とは遠い血縁関係にあたる。

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2009年04月26日 15:08に投稿されたエントリーのページです。

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